大河ドラマ

「風と雲と虹と」感想-2 平一門のみなさん

というわけでその2ですよ。平一門のおじさま方について。

1.国香おじさんは一番腹黒だと思う
黄門さまがこんなところに・第一弾。まっさきに死んでしまいましたが、国香叔父さんが実は一番コワかったよーな。良正叔父さんが将門とガンガンに喧嘩してやりあってるのは見ていてわかりやすいんだけど、国香おじさんは仮病して領地のこと誤魔化しまくったり、源家といっしょになって「将門を殺ってしまえ」と冷酷でしたからねえ。
その一番コワい人の息子が太郎貞盛です。太郎は父が死んでも「フーン」って感じで仇を討とうともしない。村岡の叔父さんには「父の死をあまり悲しんでいないように見える」とか言われている。太郎のスタンスはどう見ても今生きている小次郎>>>死んじゃった父親です。太郎、冷たいな。
ニコニコしていて実は一番怖い国香の息子の太郎は、親の死よりも小次郎を選ぶ。いや、小次郎を選んだって別にかまわないんだけど、太郎の怖さは、親の死を大して悲しんでいないように見えるところ。そして本人も、親が殺されても悲しくないという自分の心を自覚しているところ。

人当たりがよさそうなんだけどじつは心が冷たい国香が殺された。その長男もやっぱり心が冷たくて父親の死をさして悲しんでいない。
なんだ、そっくりじゃないですか。っていうと怖いですな、うーん。

ところでコレを見た後でTBSチャンネルで大岡越前を見ました。
国香おじさんが小次郎の部下に!そういえばそうだった。いい因縁で生まれ変わってよかったですね!(違う)

2.良正叔父さんだけは許せない!って思っちゃったよゴメンナサイ
本当に蟹江敬三の熱演が過ぎて「将門、良正叔父さんだけは殺っちまえ!」とか思いましたスイマセン(笑)それくらいに憎たらしい役回りでした。最後は酒に溺れてショボかったけど、結局良正叔父さんは良兼叔父さんがいないと大がかりな戦も出来ないから、所詮そんなもんだってことですな。(っていうと容赦ないな)
正妻にスーパー正論をかまされて返す言葉もなかったあたり、本当にダメだなあと思いましたが、逆に素直にやりこめられてるあたり心底悪いヒトではないのがよくわかります。てか、将門への恨み憎しみが度を超えてるんですよね。

3.石を投げられる良兼叔父さんはかわいそうだったと思う
詮子に焚きつけられて引きこもりから戦争に駆り出されていた時はしょうがない人だなあ(笑)と思っていたのですが、将門の館に夜襲をかけた折に良子に槍を向けられて、それを見てこれは可哀想だと思いました。
うん、そりゃ寝込んじゃうね。敗走する時、ボーゼンとしすぎて石投げられてもされるがまま当たってるし。
良兼叔父さんは柔和な顔して将門を丸め込もうとする人で、こういうタイプはありがちというか、タイプとしては国香おじさんの方が怖いように思います。見ていてわかりやすいよね、良兼おじさんのほうが。
良子に幸せになって欲しいはずの親としての気持ちが、詮子の焚きつけに毎回毎回負け続けるあたり、業ですねえ。まーそういう女を後妻にしちゃったんだからしょうがないと言ってはミもフタもない?
良子が将門敗戦で一時的に帰ってきた時の様子や、そもそもの良子のあの性格を見るにつけ、この一家は非常に良好な関係だったんですよね。それを壊したのは詮子。そのことに良兼は気づきながらも詮子を手放せなかった…んだよね。うーん。

そして最後。小次郎パパです。
今回のリピートで、前回見逃した初期放映分を見まして、どんな人なのかわかりました。
ダメだこりゃ、と思いました。ええ、そりゃもう。小次郎のピュアさはいったいどこから生まれ出でて来たの!と思っていたら、このパパですよ。まさに、この父にしてこの息子あり。
息子小次郎の民人(たみびと)に対するわけへだてない接し方を先に見ていて、今回小次郎パパの民人に対するわけへだてない接し方を見て、まさにDNAと思った次第です。

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「風と雲と虹と」感想-1(貴子と良子)

時代劇専門チャンネルで現在リピート放送中の「風と雲と虹と」ですが、去年の初放映時、全部見終わった後になんか感想をいっぱい書いたのがありまして、どうやら下書きだけで放置していたようで。

せっかく、今回の放送で未見だった分を見たもので、アップしてみることにしましたよ。アホのように長いですが(汗)まあそれはいつも長いからな…
いっぱいあるので分けてアップ。初回はヒロイン二人、貴子と良子です。
以下。

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貴子はサユリでなければ成り立たない役ですが、サユリでなかったら多分許せない(笑)
今こういう役を大河に出してきたらフルボッコにバッシングされる様が目に浮かびます。でも非常に味わいのある役ですね。小次郎と一緒に太郎が屋敷に来た時から、貴子は太郎のことも気になってるんだよね。それで小次郎に「一途な小次郎さまは素敵です」アピールをする。で、太郎のことは「浮気心のあるお方」と言ってあしらう。そういう態度なんだけど、ああ太郎を意識するからこういう言動になるんだよね…感がビシビシ。

小次郎・太郎・貴子の三角関係はなんだか「School Days」を見ているような気がしました。あ、この場合、小次郎=言葉で太郎=世界で貴子=誠ですね(男女逆かよ)。言葉の知らないところで誠と世界は彼女を裏切り、それをある日言葉は知る。最悪のカタチで現実を突きつけられる。
それを思い出しましたよ。小次郎の知らないところで太郎と貴子は彼を裏切り、小次郎は、貴子の寝所に忍んでいく太郎を目撃する…
BGMのポンポコは笑うところですか?と思いましたが。うん。あれはどんな演出?

そうは言いつつ、貴子は自分ひとりで小次郎を裏切ったりはできません。自らの意思を持って生きるように育っていませんから。それが都の姫君というもので。貴子の乳母の手引きで、太郎は貴子と二人きりになり、また太郎は貴子の寝所に入り込むことが出来た。
善良な貴子は小次郎を裏切ろうと思ったわけではないと思う。太郎に強引に抱きしめられ押し倒され…ああこのまま手籠めにされちゃうのかお姫様可哀想だねえ、という展開が来るのかな?と、思った。
だけど違うんですねえ。ココが貴子の本領。乳母の差し金で太郎と二人きりになった貴子。太郎にちゅーされた貴子はすっかりとろけてしまって、太郎に「乳母殿が来る、しゃんとしなさい」と注意されてしまう。そこで貴子は呟く。
「だあってえ…」

この場面、心が震える思いでしたよ(笑)か弱く美しい都の姫君が、「女」というものを丸出しにする。スゲー。

で、結局貴子は小次郎を裏切ってしまう。
ここで太郎ちゃんと幸せになっていればそれはそれで筋が通ったかも知れませんが、人間というのは弱いものでそうはいかない。太郎ちゃんは所詮貴子のことを恋のゲームのお相手としか見ていないから、他の有力なお家柄の姫君の元へ通う。貴子は、太郎が自分に対してことのほか真摯だったから受け入れてしまったというのに、騙された気持ちになる。太郎に「男女のことはそういうものでしょう」と浮気当然な発言をされて(まあ、実際当時はそうだわな)貴子は愚痴る。
「小次郎さまならばそうではない」と。

もう、グダグダな人なんですねー。生真面目な小次郎と、男ぶりがいかにも魅力的な太郎の間で揺れて、小次郎に失望したかと思うと、今度は太郎と小次郎を比べて小次郎の方がいいと言う。エエエそれどうなのよって。

いや、小次郎と太郎どっちがいいかなーというのはそりゃどっちも魅力的なので揺れるのはとても分かる気がしますけどね。貴子さまは、前述の通り都の姫君で、己の意思を持つようには育っていません。
だから、裏切るつもりはなくても状況がそうなると裏切ってしまう。強い心を持っていないから。その場で流されてしまう。

って、誰の話だこれ。そうです太郎ちゃんの話です。太郎は小次郎を裏切るつもりなんかなかったんですよ。良兼おじさんの陣所へ向かった時。だけど状況に流されて小次郎を裏切ってしまった。その場に流されて。

そうなんです、貴子と太郎はとても良く似ています。同じように小次郎を愛し、同じようなカタチで小次郎を裏切る。

その貴子が遊女に身を落として、小次郎に拾われて、板東へついていって、いくさが起こる。小次郎敗戦の知らせを聞いて貴子は太郎のところへ逃げようとする。小次郎はそんな貴子に失望せざるを得ない。
これ、反射的に逃げようと思ったんでしょうね。その反射っぷりが日和見で、なんとも弱く人間らしい女性です。小次郎が言うとおり、この人は都の女なのです。
貴子は、小次郎にすがりつき、「小次郎さまの手で殺してください」と願う。
陰でコソコソ逃げようとした女が今更、「貴方が死んだら私を殺して」とか言い出す。だって、そう言うしかないじゃん。言い訳できないじゃん。悪く取ればそんな感じです。貴子は本当に弱い。都の女だから、自分一人では生きていけない。
だけどこういう、本当に弱い女を、その弱さをきちんと描いているこの作品はとても魅力的です。

そんな風に、心ならずも愛する人を裏切り、状況に流され続けてきた貴子は、最期は無残にも雑兵に乱暴され殺される。なんて悲惨なんでしょう。
これ、良兼軍に貴子たちが捕まった時、貴子が太郎の縁者だって言ってれば助かったかもしれんのですよね。だけど貴子はそうしなかった。その結果、無残な最期を遂げた。貴子は自らの最期だけは選んだのかもしれません。

ところで貴子の屋敷が焼けた時都のくぐつの会話を聞いてると、アレですな。「貴子さまの家が焼けちゃったんだね」「助けてあげようか」「だってあの姫君は小次郎さまを裏切って太郎とくっついた女でしょ?ほっとけほっとけ」こんな感じだったと思いますが、てことは貴子が小次郎とくっついたままだったら助けてくれたんですか?くぐつの面々ってどんだけ小次郎派なの?
いや、小次郎なら、たとえ板東に帰っても誰か都に残しておいて貴子の屋敷が火事になったらすぐ手配したと思うんですけどね。

あと貴子が遊女やってたのを板東中に言って廻ったのは源護ですかい。あの展開はそうだよね?後の話を見ると良正おじさんも知ってたようだし、知らぬは太郎ばかりなりですか?(真樹が喋らなかったろうから)

さていっぽうで良子です。これはもう完璧なまでにヒロイン性格ですね。小次郎を想い、彼を明るく支え、父と対立しても愚痴もこぼさず、子供を守り、小次郎のかつての恋人貴子のことも気にかける。
何処に出しても恥ずかしくありません。ただ、こういう性格なので、物語的なインパクトは実は弱いのかもしれない。強烈な印象を残すという点では貴子さまだよな…性格がいいより、多少アレな方が物語的には輝く、と思う。

そんなこと言ってますが良子は本当にいい人です。「良子は板東の女」って自分で言ってますけど、他に登場する板東の女は源三姉妹とかですからね。板東の女も色々だ(当然です)都とか板東とかそういうのを超越して、良子はヒロインとして人格者なのですよね。

小次郎のことを好きだったけど、いざ彼に略奪されてみると「他の人のものになるから欲しくなるなんてずるいわ」ですから。なんて筋の通った人だ。良子がこんな素直で筋の通った性格だし、良兼さん家はうまくいっていたんでしょうね。あの後妻が来るまでは。

最終回、どうなるかと思ったけどやっぱりちっちゃい子が殺されるのを見るのはイヤなもんなので、良子と豊田丸が逃げ延びてよかったです。代償に、桔梗が殺されちゃいましたが…

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大河ドラマ「太平記」

時代劇専門チャンネルでやってるものでちまちま見ております。
ようやく先週分を見終わったところですが。「風と雲と虹と」もそうでしたがすぐ周回遅れになりますよ。今見ると、当時の人気タレント枠みたいなのが分かって面白いですね。時代を感じる。
そして足利・楠木両弟がどっちも直情系なのがなんかおかしいです。
柄本明の高師直は食えない感じでいいですな。あれと弟が…と思うと怖い。

で、どきっと来たのがじつは後醍醐帝でした。
後醍醐帝が隠岐に配流となった折、随行して色々世話したのが佐々木道誉なんですが、後醍醐帝が隠岐島に渡るのでここで佐々木道誉と別れる…という場面。後醍醐帝が、自分によくしてくれた佐々木道誉に言うのですよ。
「そちはまだ若い、生まれ変われ、生まれ変わって朕に仕えよ」とそのように。
これは凄いな。やんごとなき御方でなければこんな論理でモノは言えない…!これはちょっと嵌っちゃう問答無用の引力があるよなーと思いました。

で、話の本筋に戻りますと、これ弟は両方直情径行なんだけど、兄は足利も楠木も戦に持っていくまでに葛藤するタイプなんですよね。そういう意味ではなんか似てるように思います。
で、「世の中をよくするために戦う」と彼らは言う。
しかしそれは所詮儚い理想であって、世の中をよくするために立ち上がり戦った結果は、結局のところいい世の中でもなんでもなかったと思うんですね、「太平記」の時代というのは。多分この話もそーゆー展開になると思うのですが、とりあえずこの先を期待して見たいと思います。

あと、大河ドラマはどれもそうですが、これもまた音楽(主題曲)がかっこいい。
これは、転調するところが好みだなあ。かっこいい。

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風と雲と虹と・完走しました

な、長かった。ようやく完走しました。感想も長いよ!
というか「時専の毎日放映大河(本放送未見分)を完走する」というのは結構ハードル高いだろうと思っていたのですが、不可能でないことが分かりました。今度またチャレンジしよう。でも、リピートも終わってもう放送しなさげなやつも多いんだよなあ。素直にDVDをレンタルすればいいんですけどね。

でもって、非常に面白かったです。こんな知らない時代見て訳わかんないんじゃね?という当初の不安はあっという間にかき消えて物語にのめりこんでしまいました。

最終的に小次郎はどこで踏みとどまればよかったのかなあと考えたんですが、どこでしょうねえ。結局、どこというのはあまりないような気がするんですよ。
決定打になったのは鹿島兄弟を庇ったとこですが、あれはもう、しょうがないと思うんですよ。
鹿島兄弟のやったことがなんであろうと、それが犯罪クラスだろうと、一門の戦いの時にあれだけ世話になっておいて、今更鹿島兄弟を切って役人に引き渡すことが出来るわけがない。もしあそこで鹿島兄弟を引き渡していれば、という仮定は成り立たないんじゃないかと思います。

じゃあどうすればよかったのか?
足立の一件の仲裁に行かなければ良かったのか。
そのあと興世王なんか館に入れなきゃよかったんじゃないか。
だって都にいた時はっきり(ナレーションで)言ってたじゃないですか。小次郎はこの男を好きになれなかったって。でも将門は彼を頼ってきたものを追い返すことはしない。

だけど結局、どこで止まることが出来るのかというのはあまり思いつきません。
公の土地から逃亡した農民(って言わないと思うんだけどゴメン)をかくまっているあたり(そして藤太は彼らをたたき出している)結局鹿島兄弟がなにかしなくても決定的な事件が他に起こったんじゃないかと思います。

ただ、どうしても原因を個人に求めたくなることもありまして、「そもそもこれ、純友の殿が鹿島兄弟に穀物倉襲撃を命じたりしなければいいんじゃ!」とか、「興世王なんか入れるなよアンタ嫌いだったじゃん!」とか、そういうことは思います(笑)

…で、小次郎将門は叛逆の道を突き進み、あっさり斃されてしまう。
あまりにも早かった。え、昨日まで、てか今の今まで、負けて死にそうなんて、そんな感じまったくしなかったのに。
でも、あまりにも早かったおかげで、悲劇の道をじわじわと…みたいな悲壮感はなかったですね。小次郎を戦場で斃したあの一陣の烈風のように、すべてはあっというまに終わってしまいました。

ところで、わたしがこのお話で一番好きなのは太郎貞盛なんですよ。太郎ちゃんは非常にいいキャラです。一見人当たりがよさそうなのに心の底が冷え切った男です。この見た目と中身の乖離が素晴らしい。
平気な顔して小次郎を傷つけ追いつめておいて、結果小次郎が心底追いつめられて爆発してしまったあと、いきなり詫びて仲直りするあたりなんかもう最高です。太郎ちゃん冷たいよね~としみじみ思っていたら村岡のおじさんがちゃんとそう突っ込んでくれたので嬉しくなりました。
そんでもって仲直りしたけどやっぱり流されて小次郎を裏切る。(「折れた矢」)でもって太郎は言う。「許せ、小次郎」と。
結局それなのかよ!あんた結局いつもそれじゃないか!と心の底から思いました。
許せ小次郎、で許してもらえると思ってるでしょー。

その太郎が最終盤いきなり悟り切っちゃって「小次郎はもっと後の時代に生まれれば良かった、いや、もっと大昔に生まれれば良かった」とか言い出すわけですが、なにがあったんだ太郎。

なにがあったのかわかりませんが、とにもかくにも、その太郎の意思が田原藤太を動かす。
小次郎にかつての自分を見て、小次郎の将来に暗いものを感じながらも彼を殺したくない。そんな藤太を後押ししたのが、太郎の言葉です。私も同じように小次郎が好きだ、と。
太郎はここに至って、小次郎を殺す道をほんとうに選ぶ。
さんざん逃げ回って、周囲に向かって「どうだ、小次郎は強いだろう」なんて呟いていた彼が、いったいなにを考えてあの境地にたどり着いたのか、なかなか興味深い話です。

太郎は心が冷え切った男だから、対照的に暖かくて熱くてまっすぐな小次郎を好きなのがとてもよくわかります。そして一方でその小次郎を傷つけずにいられないのもよくわかる。太郎自身もそのことが分かっているんですよね。

都になじめない小次郎、あっという間に出世する太郎…というような事象として顕れるよりももっと根源的なところで太郎と小次郎は真逆の場所に立っています。本当に面白いキャラだなあ。

おう、いきなり太郎ちゃんトークに。
キャラ別で下書きしたヤツがいっぱいあるんですが、順次感想文を載せていこうと思います。帰省しちゃうのであとになりますが。

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「風と雲と虹と」見始めた

「花の生涯」で味をしめたので、一日一話いけるんじゃね?と時代劇専門チャンネルの「風と雲と虹と」を見始めました。昔の大河ドラマというのは映像が全話残っていないもので(フィルムが高価だったから)、これは最近発掘されてデジタル修正をして世に出せるようになったそうです。完全版のDVDが出て、今回時代劇専門チャンネルで放映、ということになったらしい。

で、これは平将門の生涯を描いた大河ドラマ…つーことで、主演は加藤剛。そういうものを見ても分かるのだろうか?意味不明だったりしない?と不安だったりもしたのですが、見てみたらおもしろいです。でも、将門の従兄弟の平貞盛役が山口崇、つまり「大岡越前」で上様やってた人なので、平安朝の話というよりも、前世の強い縁で結ばれた二人が転生して吉宗と越前に!という話にしか見えなくて困っています。しかも西村・佐野両黄門も出てくるしな。

主人公の将門はいきなりおじさんに土地を横領されていて、しかも「おじさんが土地を横領している」ということにすら気づいていないという有様で、もう初手から騙されてるよヤバいよ君!って感じです。純粋で人を疑うということを知らず、世間知らずで世渡りが下手くそなのでいざ都に上ってもうまくいかない。しかも惚れた女は従兄弟に取られそうだし、だんだん見ていていたたまれなくなってきます。

この従兄弟の貞盛、最初将門に女を取られるのですが、都でやり返して将門の女を取ってしまう。(最初のやつは、将門自身は自分が惚れた女が貞盛の女だと知らないけど、貞盛は分かってやってる)でも貞盛が言葉に出すと「俺はお前を好きだ、大切に思っている」なんだよね。こういう関係性は王道ですな。

さて、主人公がいたたまれないので私としては単純な萌えをも求めたいところで、それは藤原純友(緒方拳)がカッコイイのでたいへん満たされています。もーこの人カッコイイんだわ。いかにも英雄って感じのキャラだし、政治に関しても国家観まで持っており、現実と制度の矛盾について語るさまは思わず聞き入ってしまうほど説得力のあるものです。主人公を見ていると微妙にいたたまれない気持ちになってくるので、スカッと格好よく萌える人はいいですな。

今後の展開が楽しみ…ではあるんですが、あんまり見てて分からないのもなんだからってことでさくさく将門やらについて検索してみたところ、もっといたたまれないですよ?!れ、歴史ものはこれだから…でもがんばって完走!希望!

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かわいそうな子役

独眼流政宗が時代劇専門チャンネルで開始。引っ越し準備しながらテレビつけっぱで視聴。テキトーな見方なのであとでちゃんと見たいなあ。

独眼流政宗と言えば言わずと知れた大ヒット大河、私も楽しみにしていたものですが(新聞に載ってたから)当時の記憶を引っ張り出してみると、

*不動明王を見て「梵天丸もかくありたい」
*虎哉禅師の「ぱんと手を叩いてどっちが鳴った」
*初期に子役が退場したと思ったらトモカズで復活した伊達成実
*輝宗が死ぬところだかなんだかすげー大事なところで電線が映っていたと抗議の投書があったような気が
*十字架背負ったナベケンがテレビ欄に出ていて度肝を抜かれました

他にもいろいろですが。
ときに「吉宗」を見て「独眼流」を見て、特に初回で感じ入ったのですが、これ子役がいいですな。やはり大河は子役です。かわいいのもいいんだけど、状況がかわいそうで引き込まれます。「吉宗」では源六(吉宗子供時代)がかわいそう。年の離れたおにーちゃんやら優しい両親にかわいがられて育ったら「実はお城のお殿様の子供でした」「お母さんとお父さんはほんとのお母さんとお父さんじゃないんだよ」という衝撃の事実が発覚。いきなりお城に連れて行かれるも、本当のお母さんはいない。城に行けば母親違いの兄にいじめられる。悲しくて夜中城の石垣を降りて城下に逃亡(落っこちたら死んじゃうよ!)、今まで育った家まで行ってしまう。源六はまたかわいい子供なので可哀想なのですよー。

政宗は幼名梵天丸、疱瘡(天然痘)で片目を失うが一命を取り留める。
ある日梵天丸はお城の中で部屋を脱出。じぶんの片目はどうなっちゃったんだろう?と、池の水面を鏡に見てみる。そこには醜く映る自分の…(という演出)ひとり泣く梵天丸。母のお東の方は哀れな梵天丸を抱きしめる。

ってー感じですが、そんな感じにそれぞれ主人公の幼少時にかわいそうなことがあります。ジェームス脚本はベタベタな展開が売りなので(と、勝手に思っている)ベタにかわいそうな話は本領発揮で非常に見ていて引き込まれます。しかも子供。子供が可哀想な話ですから。
そうですよ「葵」に足りないのはコレですよ!
後の西田敏行であるところの秀忠(子供時代)のかわいそうな話で視聴者の同情を引くのだ!って、そんなところからはじめたら三代終わりませんな。まあ、そんなわけで三代もやるのが無理なんだよな「葵」。

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八代将軍吉宗・まとめ感想

「八代将軍吉宗」来週の月曜日で時代劇専門チャンネル初放映分が最終回なわけです。
長かった…そして途中飽きました(苦笑)でも家重と宗武の家督相続争いな終盤戦で俄然見る気が盛り返して参りました。

すっかり話は忘れているのでまっさらな気持ちで拝見しましたが、終盤に来て「あれもこれも今使ってくるのかー!」と、伏線回収(っていうのか?ちょっと違うかも)に感動。家重は病弱でひ弱で…てーことで「嫡男を鍛えて育てなければ!」の吉宗に厳しく当たられてたんですが、愛の鞭吉宗公は、家重がお守り代わりにしているぼろぼろの膝掛けを「そんなもの持ってるんじゃない」と奪い取り、家重が遠眼鏡を大事にしていると、将軍の世嗣ともあろうものがそんなおもちゃにかまけてるんじゃないという感じで、身分の低いお逸という女を側室にしたいと言えばそんな素性の定かでない女はやめておけと止める。
側室くらいは近い記憶なのですが、膝掛けとか遠眼鏡とか、家重子役時代。そういえばそんなのあったなあとかゆーエピソードですが、吉宗と家重が大げんかした際、家重が言うんですね。「父上はなにもかも取り上げてしまう。膝掛けも遠眼鏡もお逸も」うわ、膝掛けと遠眼鏡がこんなところで来るとは!と、ちょっとびっくりしました。

にしてもジェームス三木こういう話好きだな。「葵」では秀忠も家光に手を焼いておりましたよ…そして秀忠の父上家康は偉大なるお父様だし。それって「八代将軍吉宗」とおんなじ構図です。あと、ジェームス氏の十八番はファザコンもそうなんですが(マザコンもそうです)忠義の家臣ストーリー。吉宗と久通、そして振り返って政宗と小十郎を思いやると、ジェームス氏はお殿様と忠義の家臣にビジュアル性を特に求めていないことがわかります(何が言いたい)

それから時節柄(「結婚できない男」を放映している時節柄)阿部ちゃんが老中役で出演していておおう!と思いました。そういえばこの人ナベケンの藤枝梅安にも出てたよなあ。

話を戻して。
この話は泰平の世なのでどんぱちな戦争は出てこないのですが、バトルは将軍レース。まさに権謀術数、「六代将軍は誰が?」→「八代将軍は誰が?」そして、最後に「九代将軍は誰か?」とゆー三つの将軍レースがあるわけです。
吉宗が将軍になってからの享保の改革は上手く行かないところも多々あり、途中で飢饉は起こるわ火事は起こるわ苦難続き。ので、やっぱ将軍になるまでの方が見ていて面白かったな~とか思っちゃったんですが(もちろんつまんないわけではないが、うまくいかない改革を見ているとドラマ的にカタルシスが薄いモノで)家重どーすんだよ!九代は?!って話になったところでドラマの最後のひと山があったのでした。上手いなあこの構成。

あと、女性陣が豪華でしたねこのドラマ。次から次へと妙齢の美人さんが登場。
吉宗公の側室は子を産んだ三人が皆なくなり(正室も若くして亡くなってしまわれた)最後には黒木瞳演じるお久免が残ったのですが、吉宗の三人の子供のお母さんはみんな死んじゃってたので、あとで女性陣が「我が子を将軍に!」という思いを抱くことがなかったわけです。そのあたり、どろどろさが増さなかったよーな気がする。

この際だからとノベライズ版をアマゾンで調達しましたが、ノベライズ版らしいノベライズ版でした。ところどころドラマ版になかったものが足されてたり逆に削られてたりするので、ドラマのキャスティングを想像して読むと楽しかったです。てゆーかノベライズってそういうものかも。

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2008年大河ドラマ


宮尾登美子『天璋院篤姫』が2008年の大河ドラマになるそうですね。うーん、そう来たか。

これ前に読んだ時「とりあえず天璋院が慶喜が嫌いなのはよくわかったよ!」ってゆー。最初は薩摩で慶喜プッシュって言われてたのにねえ。そんな好き嫌いで決めちゃいかんよ!というのか、いやいや「この人は信用ならん」という感覚をないがしろにしちゃいかん、なのでしょうか。

慶喜を大河でやった時ふかっちゃんが天璋院でしたな。あれも似合っていてよかったんですが、今回は誰になるんですかね。ワタシ的には大河久々登場の松たか子なんか希望いたしたく。

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「八代将軍 吉宗」まだまだ序盤

八代将軍吉宗、飛びつつなんとか毎日見てます(なんか執念だな珍しく…)
西田敏行が吉宗を演じたこの作品、確か吉宗のかなり若い頃から西田敏行が演じる、ということで当時話題になったかどうかは思い出せませんが(その後「葵」でやりすぎでしたが。)小林稔侍演じる吉宗の側近・加納久通。吉宗は子役三人が西田敏行の前にやってるわけなんですが、加納久通はずーっと小林稔侍なんですな。年齢設定はどんなもんなんだろ、と特に考えもせず見ていたのですが、台詞の中で久通の年齢が。第5回「江戸の迷子」の時点で25歳だそうな。

えと、小林稔侍さんは1943年生まれらしいので、1995年放映のこの大河ドラマの時点では…52歳ですね。倍だよ!大河ではありがちかもしれんけど。
そういえば久通とともに吉宗の側近であるところの有馬氏倫はすまけいなのね。次の「葵」では政宗なのね。ってほんとに同じ人出てくるなあジェームズ大河。気に入ると何度も使うのだろうか。

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大河ドラマ「獅子の時代」

最近CSづいてます。「獅子の時代」「太平記」視聴に加えて、「武蔵坊弁慶」放映開始。
最近地上波のドラマは、1クール1本とか多くて2本しか見てなかったんで、ンな何本も見てられるのか?と思ったけど、意外とイケるものです。
大河ドラマ3本見てるんですけどね、結局。「獅子の時代」「太平記」及び今年の大河「義経」。でも意外とイケます。

「獅子の時代」は見始めたのが「死の影」の回で、まさに会津戦争のまっただ中。
ってゆーか何?なんで戊辰戦争やってんの?!という予備知識のなさでいきなり見始めたのでした。

しかしこれが面白い。攻められる側攻める側、生きようとする者死のうとする者、それぞれの意志と思考があり、それがまったくかみ合ってない。まったく違う立場に立った人間同士、正反対の価値観でぶつかり合うのですよ。
「死んだら駄目だ、生き延びよう」と子供が親に訴えると、お城のために討ち死にすることこそ本望、生き延びようとするなんてその発想じたいが信じられないと親は反論する。
戦争で死ぬのは当たり前。生き残るのは恥ずかしいことだ。
だって、女性が集団で自決しようとして、一人だけ妊婦は自決しないって話になる。
それって「後継ぎを産むから」なんですよ。妊婦さんは出産後、「後継ぎじゃなかった、女の子だった」と嘆いて自分も死のうとするんですよ。

こんなのおかしいです。こんな考え方はおかしい。おかしいんだけど、真面目にそう信じている。戦争があったらお国のために死ぬのは当たり前だと。生き残ろうとするのは恥ずかしいことだと。あととりの男の子を産むために女は生きているのだと。

おかしいんだけど確かにこういうものがあったのだろうと思ってしまう。そして、こんなおかしな考え方は、果たして昔のものだと言って片付けていいんだろうか?と迫るものがありまして。すごいドラマだなーと感服しました。

いっぽう、会津を攻める薩摩サイドの内部でも、かみあわない価値観がぶつかりあう。
乱暴狼藉を働く自軍の兵士を処罰する、そうでないと示しがつかないと言う人あり。(処罰ってゆーのは切腹ですね)いっぽう、自軍の兵士を殺すなんてとんでもないと言う人あり。
敵にはなにをしたっていいと思っていて、自分とこの仲間は仲間という強烈な仲間意識。
それに対して、戦争状態にあっても敵に対してやってはいけないことはあるのだという考えは国際法上における戦争のルールの話なわけで。

「乱暴狼藉を働く自軍の兵士を、示しがつかんから処罰する」と言い出す人は洋行帰りの人なのです。(で、反対するのはその人の兄貴なんだよな)そっちの価値観の方が現代的なんだけど、どうにも戊辰戦争当時では、この考え方は浮きまくっている。

考え方のぶつかり具合で、変わっていくものも人も、そうでないものもあるんですけど、ものすごくダイナミックな物語です。すごいなあ、この脚本。

菅原文太演じる平沼銑次(ダブル主人公の一、もう片方は加藤剛)はナニを考えてるのかいまだによくわかんないんですが、多分いい意味で、深い思想に則っていないような気がする…というかむしろ、あんま深く考えてないんじゃ?とか思ってしまうのですが(汗)深く考えてたらああはなるまいと。
だってさー戊辰戦争で会津で戦ってそれが終わったら五稜郭までわざわざ行って、戦争終わったらなんとか本州に帰ってこようとするって、どれかやめとけばもっと平和なのに!そうはいかないのがこの人なんだろうなあ。

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