読んだ本

オレたちバブル入行組

今度「鉄の骨」がドラマになるらしいので原作を買ってきて、そういえば昔読んだこの作品について書いてみることにしました。池井戸氏は元銀行マンということで、銀行ジャンルものをいくつも書いている作家さん。
本作は、バブル期に銀行にはいった半沢さんが主人公。とは言っても彼も既に大阪西支店の融資課課長。無理目な融資を上司の押しで無理無理やってみたら、融資先が焦げ付き、その責任は全て半沢に押し付けられる。どうやらスケープゴートにされた模様。
半沢は逆襲に燃え、様々な手を使って真実に辿り着き、自分を陥れた人物へのリベンジを謀る。という内容です。

銀行ものですので難しそうな内容を書いているのですが、割とそれが読みやすく、上手くかみ砕いて説明して貰えるような感じです。銀行の中でもいろんなタイプの人が出てきてそれも面白い。特徴的だと思ったのは、主人公のリベンジっぷりです。リベンジされる側がかわいそうになってくるくらいえげつないやり方で、なんていうかドス黒い(笑)銀行の上にある陰謀を暴いてるっていうと勧善懲悪みたいなんですが、主人公は、明らかに私憤で動いてるように思えます。そのへん、ある種の綺麗で定型的な主人公ではなくて、ちょっと面白いような。それが非常にインパクトの強い作品でした。

主人公が陰謀に切り込んでいく時、敵に容赦なく相手に斬りかかっていくんですね。悪意丸出しと言ってもいいような感じで。それが出来るのは、陥れられて、やり返している立場だからなのかな、自分が正しいと思っている立場だからガンガンいけるのかなー、と思ってみたり。

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横山秀夫『臨場』を読む

横山秀夫『臨場』を買ってきました。ドラマを第一シーズンから見てるんで、原作の方が後になります。原作は短編の連作集という感じなんですね。ドラマだと倉石さん主役に全て置き換えられていますが、原作だと倉石さんはちょこっとしか出てこないこともあり、まさに原作とドラマは別物という印象でした。

個人的に一番良いなと思ったのは『餞』。この選曲が泣かせにきてるだろ!と、うっかり小松崎さんに感情移入して泣きそうになりました(笑)

『黒星』原作の小坂さんのだめんずウォーカーぶりに衝撃を受けました。ドラマはみんな健全ですよねえ。

『真夜中の調書』犯罪者の息子を庇う父親に投げかけた、倉石さんの突き放すような台詞が、さらに佐倉さんによって咀嚼され、父親に伝わる。
加害者と被害者にはあった長い年月にわたるつながりが、この息子と父親にはない。それは父親がそれを投げ出してしまったからであると。その台詞が切ないですね。

『声』はつい最近ドラマで見たばかりですが、なるほど確かに評判通りドラマは随分マイルドになってるんですね。梨緒さんは決してそんなつもりはないのに、そういう方向に取る悪い男に行き会ってしまって、そういう方向に取られてしまうんだろうなあ。
しかし、原作の職場のオッサン上司二人は酷すぎるんじゃないかと…ドラマのは、ナチュラルにセクハラボディタッチをかます上司がすぐに「女の子の書いた物」とか言い出したり、実力を認めて引き抜きに来た他紙の編集者がやっぱり彼女狙いだったとかそういう話でしたよね。
でも逆にそれって最初からセクハラ系のキャラなのであって「まあ、こういう人いるよね」という印象だったのですよ。原作はオッサン二人とも梨緒さんが好きだと言いながらコレですからね。なんか余計、最低なんじゃないかと。

イチも設定違うんですね。
原作:既婚者で、どっぷり嵌った若い不倫相手が一度ウザくなったら別れさせるように自分から仕向ける
ドラマ:独身。準キャリアで水商売のおねえちゃんと一度は付き合ったけど別れる
ドラマのイチのほうが身綺麗に改変されているような(笑)ドラマは色々な意味で健全な世界観になっているんだと思いました。

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黒川博行「螻蛄(けら)」を読む

図書カードをゲットしたので超・久しぶりにハードカバーに手を出してみました。
このシリーズ『暗礁』を読んだはずなんだけど、どうも記憶が曖昧です。まあ、場所が大阪か北朝鮮か沖縄かで、やってる内容は変わらないような気がするんですが(笑)今回は桑原さんが東京デビューという話だと知り、買ってみましたよ!どんな理由だ。

序盤、二宮がもうそろそろ38になるという設定を見て、時は流れたなあ…と思ったり、この人本当に今後の人生大丈夫なのかとうっかり心配したりでした。だって嶋田さんがゴルフレッスンのDVDみてるところにお邪魔して、

「ゴルフする?」
「下手なんです」
「じゃあこのレッスンDVD持っていきなよ」
「DVD本体がありません」
「じゃあ本体ごとあげるよ」

って、DVDソフトを本体ごとをお持ち帰り。もうすぐ38にもなろうという人が昔お世話になったヤクザの若頭に、いま使ってるDVD配線ひっこぬいてそのま貰って帰るのかよ!それはカタギの思考回路ではないよ!

常々、二宮さんは母ちゃんがお亡くなりになったら兵糧が尽きて死ぬんじゃ無かろうかと思っていたのですが、今回も従妹の悠紀ちゃんとか悠紀ちゃんの知人のゲイバーにお勤めの麻衣ちゃんとか、もう本当に色々な人にお世話になっています。そういえば今回は母親にはお金を借りていないような気が…と思ったら母親に借りたお金があるから旅先で昼キャバに行こうとか思いついててどうしようかと思いました。
『疫病神』の頃の二宮さんはともかく、今回の二宮さんは間違いなくマダオなんじゃないかと思わされましたヨ。

って、全然本編に関係ないですな。本編は宗教法人に絡んでヤクザの桑原さん(と桑原にひきずられた二宮)がお金儲けをもくろむ話です。しかし二宮・桑原ほかシリーズを通じて登場するキャスト以外はお金儲けをしようとする坊主とか坊主を抱き込んだ警察とか対立組織のチンピラとかそういう人たちしか登場しないという。
まずはここに行って殴られ、次にココでボロ雑巾になり、さらにはあそこで死にそうになり、というイベントが次々と起こり、…と、なんか連載モノっぽい話であるといいますか(実際に連載ものだったような)バタバタやってるうちに終わっちゃったかなという気はしなくもありません。
シリーズものとしては最初の『疫病神』やら『国境』の方が面白いと思いますので、このシリーズで最初にコレを読んじゃうよりも、最初の二作で行ってみたほうがいいんじゃないかなーと思いました次第です。

このシリーズは毎回いろんな利権が出てきて、それをとても詳しく書いてあるんですが、だから主人公がなにかを懐疑したり目覚めたりとかいうことはひとつもないんですね。とりあえずお金儲け、それですらない。
主人公の二宮は、ラクに稼げるかと思ってうっかり変な話に乗って、毎回変なトラブルに巻き込まれ、毎回引きずり廻され死にそうになり、ここまで来たらなんかお金貰わないとやってらんねー!という人です。なので実は、「金儲け」というポリシーもありません。そういうものがあるなら一本筋が通っているんだけど、べつにそういう筋もない。
二宮の今回の稼ぎは300万なんですが、毎回毎回積み重ねて今回もこんな目に遭って、それで300万なら最初からやらない方がいいと思うんですよ。というのは実は、二宮も毎回思ってるんだけど、何故か二宮は割に合わない行為を毎回繰り返す。結局、二宮はそういう懲りない人だなーと。

どんな大きなものに触れてもなにひとつ変わらない。その徹底した空気がこのシリーズの魅力だと思います。とりあえず毎回懲りずにオチも一緒で笑ってしまう。ただまあそのかわり、どれを読んでもべつに変わらないよね、という気がしなくもありません(爆)

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「江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた」

連休中に出かけて、電車の中でコレを読みました。
つまりは、明治時代というのは「江戸時代を懐かしむのは御法度」という状況で、世代が断絶し、江戸時代を肌で感じていない世代が大正時代になって江戸ものを創作し始めたため、その後創作された江戸ものは真実の江戸時代を反映していない、みたいなのがタイトルの内容です。
ので、ホントはこんなだったよ!という江戸時代のネタがたくさん出てくる本です。大奥の真実なんていうのは、守秘義務があるからなかなか表には出てこないらしい。それを資料から「実はこうだった」みたいなのはとても面白かったです。

あと、商家というのは婿養子前提であると。時代もので良く「バカ旦那」というのが出てきますが、実際にはバカ旦那では身代が危うくなる上に、商家の組合ぜんたいに迷惑をかけるので、商家を継ぐのは婿養子であったそうです。経営者として良さそうなのを選んで娘の婿にするわけですね。江戸時代だって実子になんか継がせないのに、現代は実子に継がせるなんて江戸時代の方が進んでますよ!というのには笑ってしまいました。
そうだ、新しい時代劇のジャンルとして商家で成功する主人公の物語を!ってそれもリーマンの出世物みたいな切り口ですが。

大学の時の日本史の講義で、殉死というのは現代人とは違うメンタルで行われるのであって、森鴎外が殉死について書いてるんだけど、あれは実際とは違っていて当時の発想としてはこうだ、みたいな話を聞いたことがあり、この本を読んでそれを思い出しました。
さらに連想して今すぐ思いつくのは大河ドラマで、最近のはもう、笑っちゃうくらいに、戦争はいけないと二言目には口をついて出る。それが時代を問わず、戦国大名だろうが、鎌倉武士だろうが言っている。そこは?とずっと思っていたんですが、作り手がその時訴えたいテーマを「時代物」を使って表現するというのは、昔からあることではあるんですかね。まあ、今どきの「戦争イクナイ!」みたいなのはちょっとやりすぎだと思いますがね。あれはもう、その人や出来事を訴えたいわけではなく、最初にやりたいことが決まっててネタを当てはめてるだけに見えますからね。

って、なんか話がズレました。

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「世界で一番おいしいコーヒー」

子供の絵本のついでにこの本を買いました。

普段はブレンドのリーズナブルなところから好みのやつを飲んでますが、喫茶店のかたからコーヒーを頂く、という機会があり、そのお店も紹介されているというこの本を買ってみた次第です。単純にコーヒーを飲むのは好きなんですが特に知識があるわけではなかったので、「スペシャルティコーヒー」なるものが存在するとか初めて知りました。
そんなに良いものばかりは買えないわけですが、たまのお楽しみに良いかも…と思いました。うちはペーパードリップなんですが、淹れ方も書いてあって参考にしてみたり。
「お湯を注ぐ範囲は中心部に500円玉一枚分」
「粉の端に注ぐと側面から下に流れるだけだから端にかけないのもポイント」
このへんはウェブでも読んだことがありましたが、ちゃんと本でじっくり読むとまた勉強になりますね。やはり本という媒体には、ウェブとは違った魅力があるなーと再確認。いや、最近あんまり本の方向に行ってないのでここで再確認しておかないとやばいです。

あと、この本で出てきた、デザインカプチーノなる、カプチーノのミルクで絵を描くものがとても可愛いです。うさぎとかクマとか描いてあるんですよ!カワイイ。


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日本語「ぢ」と「じ」の謎

ただいま実家に帰省中です。
『日本語「ぢ」と「じ」の謎』(光文社知恵の森文庫)という本があったので読みました。
「ちきゅう」なのに「じめん」ってなんで?ヘンじゃない?というのが、タイトルのあらましです。

この本では、所謂旧かなづかいから現代かなづかいへの移行でこのような矛盾が生じ、また当用漢字なるものを定めたために本来の意味と違った感じが使われるようになり、日本語は変貌を遂げたのであり、そこには大いなる矛盾が生じたのであり、どうしてそのように変わったか、その背景が語られています。

どこかで聞いた話ではありますが、「漢字をなくしてしまおう」という運動は確かにこの日本にあったようです。しかもお上が主導で。それは結果としてみると間違っていたとはっきりいえることでしょう。漢字からカタカナひらがなを生み出したり、明治時代に新しい言葉を日本語に落としこみ生み出した先達らは素晴しい。日本語の無限の可能性とも言うべきものを示しているのですから。

一方でいま流行しているメールのことばというのはこの本ではどっちかというと否定的な向きに捉えられておりますが、極めるところまで言語を簡易化するというのも、ある種の進化であるような気もします。言葉を使っている人たちが言葉を変えていくのは止められるものではないですしね。

そうは思いつつ、この本を書いたかたが主張されている日本語の持つ美しさ、格調高さを守り伝えることの大事さに共感するところがあります。「肝心」は「肝腎」だったんだよ、という内容もいくつも載っていますが、それは単純なクイズとして掲載されているのではなく、こういう成り立ちがあってこういう漢字を当てられていたものだったのだ、ということで、所謂旧仮名遣いや旧字体はやたらむずかしいものではなく、むしろ論理的にそうであったと説明されています。現代仮名遣いはそのへんの論理性をすっとばしたところで成立しているので、「ぢ」と「じ」の矛盾が生じる、と。

そんなわけでコンパクトに読めますし面白い内容でした。お奨め!だと思います。あっという間に読めますので、ぜひ。

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「大井川に橋がなかった理由」

「大井川に橋がなかった理由」を読みました。
箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川。その大井川は、橋がなく、船でもなく、人足が徒歩で旅人を渡す、という形態を取っていたわけですが、それはいったいなんでなのか?という本です。

江戸時代の橋は木造だからいったん造ったらそれで終わりではなく修繕しなくてはいけない、だからなんでもかんでも橋をかけるわけじゃないんだそうで。橋を架けるコストに見合うだけの交通量がないと、そもそも橋は架からない。まずそこで目からウロコでした。で、川を渡るのに舟を使ったりするわけですが、今度はその船賃を真っ赤っかな宿場財政の補填に使っているために旅人は実際のコストよりも余計に通行料を支払わされているんですよ、という話も出てきて、なんかこれは今にも通じるなにかがあるようで非常におもしろい。

さて大井川ですが、人足が川を渡って旅人を渡すというシステムが確立すると、値段としては高値設定になったんだそうで。何故かというと、常時人足を確保する必要が生じるので、システムを廻して行くためにコストが上がるんだそうで。するとおカネがかかるのを嫌って、大井川を渡る以外の迂回ルートを選ぶ旅人も出てくる。すると大井川利権(?)サイドとしては儲かる話を取られてはたまんないから役人に手を回して迂回ルートを潰そうとする。
うーむ、なんてありがちな話でしょうか。で、しかも、この本を読むと、幕府のお役人は大井川を渡る時におカネを取られないらしい。しかしパンピーの旅人や参勤交代で来た人は払っている。ええーそうなのかよ!

というわけで、なんとなくこの本全体から「旅行先でぼったくられるのは昔から変わらないよ!」と言われているような気がしてしまいました(笑)

従来言われている説(幕府は、軍事上の理由から橋をかけさせなかった)に対して、様々な観点から反証する内容はとても分かりやすく面白い本だと思いました。

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「ふたりでのった新幹線」

「ふたりでのった新幹線」という子供向けの本を読みました。

小学校四年生と一年生の兄弟がお母さんに言いつかってお父さんの大事な書類を新幹線に乗って届ける、という話です。で、お兄さんはお弁当を食べ過ぎてお腹を壊しトイレに駆け込み、弟は帰ってこないお兄さんを捜して新幹線内で迷子になってしまい、挙げ句大事な書類の入ったリュックをなくしてしまい…という道中。しかし周囲の親切な大人が兄弟に親切にしてくれて兄弟は無事お父さんのもとに書類を届けました、というお話です。

いや、これ前提がおかしいだろ。そんな大事な書類を小学生に運搬させるなよ、と。
でもそこはそれ仕掛けというか設定がお母さんの口から語られます。
条件は金曜夜。明日までにお父さんに書類を届けなくてはいけない。時間が遅いので宅急便でも速達でも間に合わない。お母さんは明日仕事なので届けに行けない。お父さんは風邪を引いているので取りに来られない。
という設定です。
ここまで設定しているんですが、その設定が穴だらけです。

なんでファックスじゃいけないのか。その書類は土曜日に必ず原本が手元になくてはいけないのか。しかし、そんな大事な書類ならそもそも小学生が運搬するほうがおかしい。
そして、土曜日にお父さんは寝込んでいて電車に乗れないと言うことは、当然会社にも行けないということです。会社に行けないのに何故原本が必要なのかが分からない。個人で仕事?いや、単身赴任という設定があるので、ある程度の地域に支店が存在する会社にお父さんはお勤めのはずである。

で、お父さんは会社に行けないんだから、そもそも土曜日当日に書類が必要になると言う方がおかしい。翌日の日曜日、宅急便の日曜午前指定でいいだろと思います。もっと言うなら、お父さんの会社宛に宅急便で日曜日に届けて、お父さんの手元にはファックスだけ送付すればいい。
こんなに頑張って設定を書いているのに、その設定がツッコミどころだらけです。だから設定が余計小賢しく感じられます。
なら素直に小学生がお父さんのところに遊びに行く話じゃいけなかったのかと思います。

あと気になるのは、書類を入れたリュックがなくなって、そのリュックを取ったのが、サングラスのお兄さんとおけしょうのこいお姉さんじゃないかと疑われる場面ですね。サングラスはいいんだけど後ろに控えているおけしょうのこいお姉さんという存在がまた意味が分からない。

サングラスの怖いお兄さんとおけしょうのこいお姉さんとまとめて子供の目には悪そうに見えたんだけど、実は二人ともいい人だったよ!という話なのは分かります。
ですがそこで「おけしょうのこいお姉さん」を出してくるその姿勢がそもそも偏見に満ちているではありませんか。
子供から見たら化粧が濃いか濃くないかなんてよくわかんないし、そもそも子供から見たら20代でもおじちゃんおばちゃんに見えるだろうよ!

サングラスのお兄さんは「サングラスのお兄さんがめんどくさそうに答えた」り「サングラスしてるから怖く見えたけどサングラス取ってみたら優しそうだった」という仕掛けがあるから、一見怖そうに見えるルックスという仕掛けの意味が分かります。

だけどお姉さんは、子供に無愛想に対応したわけでもないし、嫌なことを言ったわけでもないんですよ。ただ単に子供の目から見ておけしょうが濃かっただけで、連れのお兄さんと楽しそうにおしゃべりしているだけです。
なんだか凄い理不尽なものを感じました。まあでも子供ですからね、小学一年生だからね、一度「おねえさんおけしょうが濃いね」と思ったらずっとそうだよね、とそこは妙に納得しました。

いや、児童向けの書物の設定にこんなツッコミ入れるのも大人げないのは分かってますよ!分かってるんだけど書類を届ける話があまりにも変だったので、ついでにおねえさんへの偏見が気になりました(笑)

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「夢の超特急、走る!」


結構前に読んだ本ですが最近鉄道カテゴリまで作っちゃったので感想をば。
東海道新幹線を開業するまでの歴史、ですね。というかもっと遡り、日本に鉄道が導入された時からの歴史が書かれていまして、何故「新幹線」というものが必要になったか、その経緯が記されています。新幹線だけでなく、鉄道史みたいな感じでおもしろいです。

新幹線というのは世界でも初めて「営業運転で時速200キロ」というのを成し遂げたんだそうですが、そこでの苦労話も載っています。きれいな話ではないんですがトイレ周りで非常に苦労したという話が載っていて、そういう、あらゆる細かいところで大変なことがあった、というのが垣間見えてきます。
あと、用地買収が大変でした、これだけお金がかかりましたみたいな話も普通に出てきまして、まあ今思うと当たり前の話なんですが、かつて「夢の超特急」と呼ばれたものも、表にあるのは夢なんだけど、裏側は夢じゃないわけで。

大変勉強になりましたし、面白い本でした。

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「定刻発車」

そろそろ鉄道カテゴリってのを作った方がいいような気がしてきましたが、とりあえず文庫で読めそうな鉄道ものを探していてコレを見つけました。「定刻発車」。

日本の鉄道は1分遅れると定刻発車になりません。
海外の統計では「遅れ」にカウントするのは10分~15分から。
なにこの差。
というわけで、日本から鉄道の国際会議に行くと、「君のところでは列車が遅れると社員を死刑にするのかね?」とか言われちゃうんだそうな。

あと、電車に乗るときには、「ココで扉が開くからココで待っててね」というラインがありますよね。あそこにピタリと止まりますよね。
あれは実はグローバル基準で見るとおかしいらしいです。
海外の方に言わせると、定刻通りに列車が止まり、しかも停止線にピタリと止まるというのはcrazyなことであるらしい。

では、何故日本の鉄道はダイヤ通りに動き、停止線でピタリと止まるのか。
本書は、この当たり前のように行われていることの裏にどんな理由があるのか、そういうことを解き明かしてくれる本です。

結論としてはこうです。
日本の鉄道はその輸送量からみると大層貧弱である。
その貧弱な設備で多くの旅客をさばくためには、まず、たくさん本数を走らせなくてはいけない。そして、たくさん本数を走らせるためには定刻通りに運転しないと詰まってしまう。
それほど本数が走っていない路線でも、他の路線にうまいこと接続する使命を果たすためには定刻発車から遅れるわけにはいかない。

さらに、停止線でピタリと止まって、そこに並んでいる乗客が効率よく乗り降りしてくれないと、駅での停車時間が増えてしまう。停車時間が増えるとダイヤ通りに動かない。

と、まあ、このような理由があるそうで。
「決して豊かでない資源を技術と生真面目さでフォローしている」。そう、鉄道とは、まさに日本そのものではないでしょうか。
(停止線に正確に止めた電車に順番に並んで乗り込むというのは、まさにお客さんも鉄道会社もいっしょになっているということです。と、この本には書いてある)

あと、おもしろいのが、「何故日本人は時間に正確なのか」を、江戸時代以前に遡って考察する章です。
我々日本人は、参勤交代を執り行う時に既にして、○泊○日でどこそこから江戸へ、という旅程表をきわめて詳細に作っているわけですよ。江戸時代からツアー組んで計画的に団体旅行してるわけですよ。これはおもしろいなあ。

そんなわけで、この本は、定刻発車する鉄道からひもとく日本社会というかシステムが浮かび上がってくるような内容です。機会がありましたら是非。

追記。「定刻発車」でスジを引く職業について出てきますが、スジ屋さんと言えば「ミカドの肖像」が面白かったですよ。そんなつもりで読んだわけではまったくなかったのに鉄道ネタが登場(と言っても物凄い昔に読んだ)。
スジ屋さんとはとてつもない職人さんだ…!と感心した本です。


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