オリンピック・フィギュアスケートの採点てのは…
オリンピックでフィギュアスケートを見ていますが、これはなんか…泣ける。心が死にそう。演技はどの選手も素晴らしいんだけど、採点を見ているとなにもかもを打ち砕かれるような絶望感を味わいます。
そもそも現状、難易度に応じた基礎点が設定されていないわけですが、さらに加えて、審判がココに「できばえ点」=加点というのを付けているわけですよね。その、できばえ点によって、もともと設定された基礎点の差、そのジャンプの難易度の差を飛び越えた点数をつけてしまう。
それはおかしくないですか。
どんなに素晴らしく跳んだんだ!と説明されても、ジャンプの難易度が設定されている以上、それを飛び越えちゃいかんでしょ。それなら、基礎点というモノには意味がない。
さらにこの加点というのを見てみると、ひとつの要素にずらっと同じ点を並んだりするわけですよ。
それはつまり、その場で行われた要素を短い時間で判断し、個々の審判がまったく同じ点数を付ける程素晴らしいできばえである、と?
そんなおめでたい話は、ひとを馬鹿にしているにも程がある。「この選手のこの要素にはこれくらいの点を付けるよ」と事前に打ち合わせしていると見るのが、より合理的な考えです。何故なら現行採点下では、ジャッジの誰がどんな点数をつけたか、観客には明かされない。密室で協議が行われている状態だからです。
元々自分たちで定めた技の難易度があり、その難易度に応じて得点を配分している。
しかし実際には、審判の事前の協議により技の難易度を飛び越えるだけの得点を加算することが可能である。
なら、基礎点ってのは意味がないよね。
その場で、その日のできばえを見て決める加点があるんでなく、実際には事前に談合して、この選手のこの技にはこれだけ点を積み増しすることを決めておきましょうっていうのは、技の難易度に応じた基礎点が設定されていることには、もっと意味がないですよね?
だって、「できばえ点」を加算することで、競技をする前から、誰それにはこういう点を与えましょう、と決めているんでしょうから。
「客観的っぽいもの」を装って、ひとつのわざにひとつずつ点を積み増していくと見せかけて、実際には自分たちで定めた難易度を崩壊させ、事前の協議で点数を打ち合わせして、誰に何点与えるかが決まっている。
より客観的っぽいものを装っているだけに、余計性質の悪いものを感じます。ぶっちゃけ、かなり悪質です。
こんな悪質な採点を見ていると心底心が痛みます。
演じている選手の気持ちはいかばかりでしょうか。
せめて、どの選手も自分のベストを尽くせることを祈るばかりです。
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