« 風と雲と虹と・完走しました | Main | 土ワイを見たよ »

「道誉なり」―人を死なせて、なおも生き続けるということ

北方南北朝ワールドを旅して早一ヶ月半くらい?
感想でも書くべなと思って色々下書きしていますが一番早く感想文を書き終わったのがこれ。
てなわけで道誉なり〈上〉 〈下〉 (中公文庫)
道誉なり、と言いつつ佐々木道誉はあんまり主役っぽくありません。
てかこれ尊氏の話じゃね?言ってみると尊氏が直義を殺す話なんだけど、直義視点というほどのものはないので、ほんとうに尊氏の話のような気がします。道誉は随所で登場するんだけど、例えば「悪党の裔」で赤松円心が主人公だったようには物語の中心に存在しない。

ところで北方謙三が歴史小説を書くようになったのは、現代社会を舞台にしたハードボイルドでリアリティの壁につきあたり、物語にもうひとつ力強いダイナミズムを与えたい…という理由なんだそうですよ。(「破軍の星」の解説より)
「道誉なり」を読んで、現代では出来なくて歴史小説で出来るモノのひとつに、「やむを得ず他人を死に追いやる」というシチュエーションがあるなあと思い至りました。

いや、その前に(はるか昔に)北方版三国志を読んだからなんですけどね。そこで、曹操が荀彧を殺すくだりが出てくるわけですよ。まあ、どこにでも出てくる話ですけど。北方版の曹操は荀彧を死なせて、自分はそれでも生きていて、これからもずっと生きていくのだと思う。
(というような内容だったと思うんだけど…ちなみに吉川版曹操は「そうか、荀彧は死んだか」と、自分で死なせておいて言う)

三国志では曹操が荀彧を、「道誉なり」では尊氏が直義を死に追いやる。そこで尊氏は、自らが涙を流すのを待っているけど、結局涙が出てこない。
共に戦ってきた盟友なり部下なり肉親なりを死なせなければならず、そのことを受け止め、苦い思いと共に受け入れ、そして生きていかなければならない。

うーむ、現代社会ではコレはできませんな。会社のために上司が部下を死なせてそれを個人の胸に納めて飲み込んでしまっては、それはハードボイルドではなく、企業小説にしかなりません。しかもそれじゃカタルシスもなく、共感もできません。

じゃあもっと相応しい状況を生み出せるのか?
近しい人間を死なせてまで守らなくてはいけないもの、というのはあんまり思いつきません。現代では。冷戦が瓦解してしまったのでスパイ小説でもちょっと無理そうだ。絶対的に、人の死より重いものがあり、親しい人間を死なせてでも守らなくてはいけないものがあるというシチュエーションは、現代物より歴史小説(あるいは時代小説)のほうがはるかに作りやすい。

如何に生きるかは如何に死ぬかであり、また、何を捨ててでも、これから先も生きていかなくてはいけない。北方ワールドの歴史小説というのは、そういう世界を体現している男達の物語であるように思います。これは、うまくはまると非常にかっこいい。

さて、本編の感想。
前述した通りこれは尊氏の話であると思うのですが、…いやその、男に抱かれて媚びる白拍子の女を尊氏は嫌う。その女のために、女をまるごと嫌いになる。白拍子の女が嫌いだから、白拍子の女が産んだ息子の直冬も嫌いになる。直義はその直冬を養子にする。直冬がきらいな尊氏は、直義をたてたら直冬が後継になってしまうから、ほとんどそのために直義を滅ぼしてしまう。ちょっとそんなところがある。
なんていうか、それどうなのか。いや、いいんだけど。別にいいんだけど驚きましたよ。
全体の印象としては道誉のばさら大名ぶりというのはさほど印象に残りませんでした。もっとガシガシにアクの強いやつを想像してたもので。

|

« 風と雲と虹と・完走しました | Main | 土ワイを見たよ »

「読んだ本」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/38645/42286188

Listed below are links to weblogs that reference 「道誉なり」―人を死なせて、なおも生き続けるということ:

« 風と雲と虹と・完走しました | Main | 土ワイを見たよ »