「王家に捧ぐ歌」(7)最後に
長いなあ今回。というわけで次はラダメスです。
えっと、ラダメスっておばかさんだよね。無神経だよね。あんな指輪アムネリスさまの見ている前でアイーダに渡すなんてどこのバカですか、というのは展開の都合上なのでおいといても、彼は無神経です。
だって一幕の最後。ラダメスは戦に勝ち、アイーダの父親を捕らえてくる。「このものたちを捕らえました!」と高らかに宣言する。アイーダは駆け寄って叫ぶ。「お父様!どうかお父様の命だけは!」と。この状況でラダメスは、エチオピアの解放を宣言する。そしてこれが、彼がアイーダに示す愛でもあるんですな。
この人素晴らしいですよ。素晴らしく無神経。目の前に父親を捕らえてきて、解放してあげます、あなたを愛しています、あなたのためです。その前にあなたの国の軍を滅ぼしてきたんですけどね。でもあなたの国を解放してきましたよ。愛していますアイーダ。
すんげー上からモノを見た態度。無神経極まりない。でも天然ですから。素でこうですから。彼はエジプトの有能な将軍なので、エチオピアを倒すのは当たり前。でも、アイーダのために、アイーダに共感したため、戦いを終わらせよう!と思うわけです。
この話がどうも曖昧なのは、ラダメスの真意はどう判断されるべきか、保留のまま終わってるよーな気がしなくもない点です。アムネリスと、エチオピア王の判断は同じ。ラダメスはアイーダのためにエチオピアを解放してやった。それは端的に個人的な感情、エゴのゆえ。崇高な姿勢なんかじゃないんだよと言う。
わたしそれってそのとおりだと思うんですよ。ラダメスは善意であれ、アイーダがこう言うからやってみたってだけなんだと思う。でもおばかさんだからすんげえやってることが無神経。
それが悪いとは思いません。つか、そんなもんじゃない?人は自分のためになることしかしない。人というのはそんなもんです。
そこでアイーダが「ならば私は『戦いは新たな戦いを生むだけだ』と訴え続けよう」って…その文脈はなんでしょうか?
アイーダがラダメスと自分のためだけに、戦なんか起こってもかまわないと思ったのはエゴでしょう。それはそれでかまわない。アイーダはエゴのためにすべてを捨てた。ならなんで最初に戻るの?私も私のエゴのために戦いを生んでしまったって方向に行かずに、なんで自分だけ正しいの?これがわかんないんだよなあ。
キムシンキャラは言いたいことは死ぬほど口にするから、「実はアイーダは自分も悪いと思っていて」とは思えないんですよ。どーにも。スルーして責任回避して、言いたいところだけ言ってるように見えてしまいます。
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