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「王家に捧ぐ歌」(6)お嬢様アムネリス様のドラマ(後編)

お嬢様の立場ははっきりしています。ファラオの娘だから手に入らないものはなにもない。同時に彼女は何も失うことはない。いっそ戦争があればいいのに、と彼女は二幕で嘆きますが、それは大事で身近な人が戦争で死ぬことがないからではないかと。
逆に、バリバリ軍人のケペルもメレルカもわりとさばさばしている…ように見えました。やっぱこっちが何度も見ると最初の思い込みより違うものが見えるのか。一幕で人を死なせて戦っていた彼らが、戦争なくなってオレら用無しだよ、だから飲もうと言いながらお友達を引っ張っていく。ああ、この人たちはもうさっぱりしちゃって、これでいいのかもしれない、と思いました。戦争していた人が「もういいよ、オレらはいらないってことで」と現実を受け入れられるのに対して、目の前で人が死ぬ様を目の当たりにしていない王女が「こんなにふやけているなら戦っているほうがましかも」と思う。

見ているものが違うから、あまりにも違うことを考える。アムネリス様は、負けたら泣くのは当たり前だと思っている。それに対しての反論はシンプルに行ってこうです。「じゃあ、あなたが負けたとき、あなたはあんな目に遭うのを甘受するんですか?」でもアムネリス様は言うと思う。「エジプトは負けません」。アムネリス様はたぶんそう思っているから、あんなふうに傲慢になれる。そこが彼女の立場ゆえの強さ。

そのアムネリス様の立場がひっくり返るのは、終盤、ファラオが暗殺される場面。目の前で父親を殺され、暗殺者の意味深長な言葉(お前たちの中に裏切り者がいる!)に、周囲は動揺し、磐石であったと思っていたものが目の前で崩れ落ちていく。

このままいったら、たぶんエジプトは駄目だったんだと思う。そーゆー意味では、エチオピア側の作戦は当たっていた。このまま大国エジプトは崩れ去り、エチオピアが勝利するはずだった。エチオピア側は勝つために策を練った。けど面白いのは、思ったとおりになんか運ばなかったってこと。必ず不確定要素があって、思ったとおり物事が動くとは限らない。

エジプトの窮地を救ったのはラダメスとアムネリス。この時点ではラダメスはアイーダと生きるためなにもかも捨てていいと思っていたけど、捨てていいと思ったのは自分の地位。エジプトが滅びることなんか望んでいないわけで。彼はエジプトの危機に際して、動揺する人々を鎮めてしまう。ここがラダメスの将軍としての手腕だなーと思う。この人、ほんとに有能なんだと思います。
裏切り者は誰だ!と騒ぐ人々、普段偉そうな神官は、こんなとき役に立たなかった。ラダメスは、「裏切り者は私だ」と告げる。ここが第一段階。けれどこのままでは、ラダメスが裏切り者ってことで、人々のパニックは収まらない。

最終的にすべてを収めてしまったのはアムネリスの豪腕ぶりです。アムネリスは目の前で最愛の父に死なれ、ラダメスが裏切り者だと聞かされる。アムネリスが愛した、父が守った国はどうなってしまうのか。このままエジプトは崩れていってしまうの?アムネリスは放心の体で立ち上がる。そして「わたしが今からファラオです」と宣言する。アムネリスは、愛するラダメスの剣を引き抜き(その剣っていうのは、ラダメスがファラオからもらったあの剣なんだよなあ…)、震える手で愛しい相手の首先に剣をつきつける。

アムネリスはエチオピアの殲滅を宣言し人々を鼓舞し、エジプトの窮地を救った。アモナスロの策略もウバルドの決死の覚悟も意味をなさず、エジプトは死なず、エチオピアが滅びてしまった。急激につきつけた刃は返す刀となり、起こらなかったかもしれない皆殺しを引き起こす。
アムネリスが嘆くだけの女なら、エチオピアは勝っていたかもしれない。そして誰もが、アムネリスがあんな強い女だとは思っていなかった。

不確定要素がことの成り行きを一方の思惑とは正反対の方向へ持って行く。このダイナミックさ。見ているこっちは、「どーせこの作戦は失敗するのに」って思っちゃうけど(特に何度も見ると)、そんなことはない。成功するかもしれなかった。そのはずだった。でもぎりぎりのところでアムネリスがひっくり返した。すごい話です。

最後のドラマで、いままで敵役(それも非のうちどころもない系統の)であったアムネリスは、いっきにヒロインになってしまう。父親を失い、愛する男を己の手で罰しなければならない、国を背負った女性。だけど私の前で「あの女に騙された」と言ってくれたら、あなたを逃がしてあげる。なりふりかまわなさと向こう見ずさ、そして女のプライドが垣間見えるよなあ…かっこいい。愛する人をこの手で…!すんげーかっこいいお話です。もちろん自分でってんじゃないから、こんなヒロインを見ているとすんげーかっこいい。不幸と悲しみに打ち震えつつ強さを保ち続けるアムネリス様は本当に美しい。

でもラダメスって最後までつれないのね。「あなたはまだ戦い続けるのか」ってさー、可哀想じゃないですか。アムネリスの行動は今までもこれからもずっと筋が通っていたのにね。だって他にどうすればよかったの?全部許せと?そーゆーわけにはいかないっしょ。それじゃあ駄目だったでしょ。あのときのアムネリスの判断はものすごく的確だった。もう、カンペキなくらいに的確だった。国のため、愛する父親の仇をとるためにはああだった。

だってエチオピア人は卑怯極まりないやつらですよ?死なせちゃってもよかったけど、生かしておいてやったのに、よりによって闇討ち。闇討ちの上不意打ち。さいあくー。せっかく寛大なファラオがお許しになったのに、ヤツらは闇討ちで不意打ちですよ。ふつうにやっても勝てないと思って、あの寛大なファラオを闇討ちですよ。そんなひきょーなやつらは今度こそやっつけちゃいなさい。

…とゆうふうにエジプト側は思ってたんじゃないかな。その思いを背負ったアムネリスがエチオピア殲滅を命じたのは流れとしてそーなっちゃうわけで…でもエチオピア側としては、どうあっても勝ちたいんだけど、ふつうにやったら勝てない。でも、勝てばいいのです。相手なんかお互い人間じゃないんですよ、だから勝てばいいんです。

どっちが悪かったのか?そりゃ最初に征服した側でしょう。でも、今のアムネリスが国のためにやったらああなってしまった。まさに復讐の連鎖。こんなものはどーにもならない。

こんなどーにもならないものをどうすればいいか。せめて人が死なないようにしてください。「こんなものは無駄だ」とどこかで気づいた人はそう思うようになる。

いきなりですが、ケペルもメレルカも、気づいてた口なんだと思う(初演では思わなかったのですが、役替わりの今回何故かそう思いました)。目の前で部下が仲間が死ぬところを見ていた人は、死なないのが一番だと思える。ラダメスは相手を死なせて自分がのし上がっていく人なんだけど、アイーダに言われて、もしかしてなんか違うのかも?と漠然と気づいていく。

こーゆー話だからアムネリスは悲しい。どーにもならないけど、彼女としては他にどうにもできなかった。そして、愛する人は分かってくれない。自分がどんな思いでいるのか、分かってくれない。とどめのように、「いつまでこんなことを続けるんだ」と言い残されてしまう。

じゃあ他にどうすればよかったの?だって全部あなたのせい。あなたがアイーダに騙されたせい。あなたは私が愛する国が滅びればよかったっていうの?お父様を殺した憎いエチオピアを滅ぼさなければみんな納得しなかったわ。私はこんなに悲しいのに立ち上がったのに、あなたはわたしの気持ちをどうしてわかってくれないの?

だからアムネリスは剣を置いた。愛する人の残した言葉を果たしてみようと。

そーゆーわけで、すごい話です「王家に捧ぐ歌」。テーマの表現が浅薄だなんだと書いてみましたが、実際にはすごいドラマチックな話なんだと思いますよ。だからあまり余計なことを言わないほうがよかったんじゃあ…と思うわけです。
というか行間の説明がまったくなくて(それは彼の持ち味だと思うけど)ツッコミどころ満載だから誤解を与える部分も観客に読ませる部分も大きすぎて、ツッコミどころを減らせばいいのになあ、といつも思います。

あと、このショーは平和への祈りとする、とか、そういうことは言わなくていいと思いますよ、個人的には。実際問題、タカラヅカを見に来ているのですよ。だから、タカラヅカを見せて欲しいわけです。あなたの主張だけなら見に来ない。ジェンヌさんが演じているから見に来ている。タカラヅカに来る人は本質的にそうだと思うわけです。

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