「王家に捧ぐ歌」(4)別のことを考えてみる
ぜんぜん違うことを考えていました、というのは、ファラオが出てきて、神官たちが出てきて、歌い継いだところです。
そう、ファラオが一番歌がうまい(笑)
私はその瞬間思いました。そうか、ファラオとは、一番歌がうまいヒトが選ばれるのですよ。だって神官さまより上手なんですもの。王さまが一番うまいんですもの。つーことは、ファラオになる条件は歌のうまさ!
しかし娘が婿に選んできそーなのは、わたるくんです。次代のファラオとなりそーなのは、わたるくんなのです。他にいいとこいっぱいあるが、歌はあんな感じです。いや、あれがいいんだよ!とも思いますが、ファラオの条件は歌がうまいこと。やー、困りましたね。ちょっと、猛特訓が必要かも。いやいやでも愛する娘が選んできたわたるくん。よい青年ではないですか。条件的には厳しいが、でもこの私が仕込めば!大丈夫!かくてファラオはわたるくんを新月から14番目の夜に誘い、歌の特訓をしようと思っていたのでした。しかし!敢え無くファラオは殺され希望を失い…可哀想だ、ファラオ。
とか箙さんが歌ってる間に考えてたわけですが(爆)歌ネタとゆーとエチオピア三人衆。「サウフェ、あなたもなの?」と嘆くアイーダ王女さま。
大丈夫アイーダ!その子はうまいから大丈夫だ!とか思っておりました。ゆかりちゃんも好きですよ。歌はすごかったけど(笑)でも素晴らしくきれいですな。
そーいやラダメスのお友達ケペルとメレルカも役替わり。
私はこれはなかなか好きでしたー。
とくにケペル。メレルカもいいけど。
ケペルは一直線で、ラダメス好き!です。
でも裏切られたらもう、「お前なんか知らねーよ、けっ」って顔で豹変です。その安易さはなんですか。その文脈の行間のなさはなに?と、初演の時に思っておりました。なんかもっと演出があってもいいと思ったわけです。そんな単純なもんじゃないでしょー?なんか一言でもいいから入れてよキムシン先生!と、思ったのですが。
それでやってるのがしいちゃんなので、まっすぐそのまんまなんですね。まっすぐそのまんまなケペルが、裏切られたと思ったら「お前なんかトモダチじゃねーよ」って顔。まんまです。
そこ、行間ないんですか?!と、私は思っておりました。
でも今回はあるんですね。
なぜって、ケペルはそんなに一直線ではないから。普通にラダメスが好きなお友達だから。極端から極端に振られると、え?それってケペルが単純バカなだけ?と思っちゃうけど、普通のヒトがあのような状況を経てああなるから、ああなるほど、そうだよなーと思えました。ふつうというのは、良くも悪くもあるという意味で、しいちゃんの個性は「悪そう」という部分がないんじゃないでしょうか。
いや、ケペルは要請上単純バカでいいのかもしれませんが。でも、キムシン脚本にありがちな「行間のなさ」というか、鳳凰伝でてめえのために死んだお友達スルーですかそうですか主人公カラフさんよ、ってーノリが垣間見えまして、私としては今のも別物で、こういうのも別の説得力があっていいんじゃないかと思いましてなかなか好みだったりします。
エチオピア三人衆に関しては、たとえばフィナーレの歌詞なんか聞いてると、「演出家の主張」が見えすぎて、私はいまだにキャラクターとして見られておりません。「神の名の下の殺人とはなんと愚かな!」を具現化したウバルドも、「ああ、そういうのがやりたいのね。そのまんまだね、そうなのね」という風に思ってしまうので…ウバルドは王子なのに自決ってなんて未来のない、なんで?じゃなくて、だって自爆テロさせたかったんでしょ、とゆうふうに思ってしまうわけです。それも不毛は不毛なんですが、なんかウバルドというのは一番、「演出家の主張が見えすぎる部分」として気になってしまいます。
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