「徳川綱吉 イヌと呼ばれた男」(感想)
ストーリーは、ツッコミどころ満載です。
違う失脚じゃない!吉保は失脚したわけじゃないよ!見事に身を引いただけです!とか
時系列は意図的に無視しているかと思われますがね。
吉良邸の現場検証に来る綱吉&柳沢とか。
そもそも江戸の遊郭で遊び惚ける大石殿を説得に来る綱吉とか。
(江戸では遊んでないけど京都まではワープできないよなあという二重のツッコミどころ)
側室と二人、夜の江戸に馬に乗って出かけちゃう綱吉っていうのは、常軌を逸しすぎているので、もはや突っ込んじゃいけないところなのでしょう。
でも「忠臣蔵というテキストの中では迂闊にアホにできない」内匠頭が、ものの見事に癇癪キレまくり殿様だったのは非常にナイス。
綱吉については、あらすじの項で書きましたが、これ「いいひと。」を時代劇でやろうって既定路線があるわけですよね?別に綱吉に新しいイメージを加えたいわけじゃなくて、綱吉を「いいひと。」バージョンにしたいわけですよね?
うーん、最初から「いいひと。」にするとかじゃなくて、もっと別のオリジナルな綱吉像を造って欲しかったなあ。
申し訳ないですが、この話の綱吉は、「空回りする理想家」というよりは「ただ単にアタマの回らない愚鈍な馬鹿」という印象です。や、明らかに言い過ぎですが。そうじゃなく思ってる方もたくさんいると思いますが。
でもこんなの空回りしてて当たり前だし。だからどうなんだ…空回りしてしまいましたという話だとしても、こんな人空回りしたって当たり前じゃないですかと思っちゃう。
なにが違うと思うって、新しい綱吉と称してこういうものになったのは、綱吉を再構築した結果こうなったのではなくて、ただ単にキャストの既存のイメージに合わせた人物像を借りてきて、そこに事象をつじつまが合うようにはめ込んでいるからなわけで。
そこがこのドラマのヤなところです。あまり真面目に言うものでもない?でも面白いところもあるし、新鮮だしいいところもあるのに、と思っちゃうんですよー。
だってそういうのは、制作する人びとの立場としてはとても手を抜いたものだと思うし、再評価って言ったって根本が手抜きじゃないですかとも厳しいことを思ってしまうし、コンセプトは悪くないのになあ、もったいないなあ…
ワルモノ然としていない柳沢吉保とか、ブチ切れ内匠頭といい、今までにないイメージでいいものを作っていると思うのに、肝心の主人公が借り物でミョーに現代的すぎるのが…引用したケンペルさんは、ただ名前借りただけですか?ケンペルはこんな愚鈍な馬鹿殿を誉めたわけじゃないと思いますよ。
名君であることと、性格が「いい人」ではないことは矛盾しないと思います。
なんでなんでも「いい人」にするんですかね、最近の時代劇は。新選組!の局長もそうだけど。いいところもダメなところも悪いところもあって、全部あわせて一人の人間の魅力じゃないの…?
あと、最近時代劇だとよくあることですけど、なんで全部現代風にするんですかね?どっちかっていうと、歴史物の醍醐味というのは、その時代に即したように見せて、実は現代にも通じるテーマを扱っているということだと思うんですけど。最初から現代バリバリな価値観で語られても、「それは違うんじゃ?」と思います。
綱吉もですね、いくさがなくなった平和な世の中で、今更殺生もあるまい、それが武士だというならいまやそんなものは意味がない、というふうに言えば、江戸時代っぽいじゃないですか。
言ってるような気もするんだけど。公式サイトインタビューでいきなり9・11の話を持ち出してたりするあたり、なんか現代の価値観をむやみに押しつけられたような気がしなくもありません。
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