「罪に濡れたふたり」最終回後おまけ考察-3
というわけで「罪に濡れたふたり」、和樹が死ぬとこまでは結構好きでした。和樹が死んだところで香純と由貴が別れてそのままローマで駆け落ちだったら、えええ不法就労すか?と思いながらも納得したような気がします、我ながら(笑)
私的「罪に濡れたふたり」の名場面。
和樹は香純を車で家に送ったがその途中、信号無視のトラックにブツけられ和樹は事故死、香純は助かる。和樹に庇われて命が助かった香純。和樹は子供のころから香純の友達で、和樹はずっと香純が好きだった。香純は和樹と共に通った小学校を訪れ、和樹の筆跡を見つける。
そして、和樹から香純宛に携帯メールが入る。
和樹は香純の誕生日にメールを送っていたのだ。もうこの世にいないはずの和樹から、「誕生日おめでとう」というメールを受け取った香純。しかし和樹は自分を庇って死んでしまったのだ。
由貴の前で号泣する香純。香純と和樹が過ごした幼い頃の時間には由貴はいない。由貴にも入れない、香純と和樹の思い出の時間。
「死んでしまった相手には勝てない」―由貴は号泣する香純を前に、なすすべもなかった。
あ、ここ好きです。非常にいい場面だったと思います。その後はどうかと思っても、この回は非常によかった。その後は本当にどうなのかと思うところもありましたが(笑)
というか、和樹が死ぬまでとその後では、ストーリー運びそのものが変質してしまったんじゃないか?という気がするんですね。それまでは一応ひとつのイベントがあり、そのイベントを連載数回で消化し、次のストーリーが展開する。しかし、和樹の死後香純がアメリカに渡り、由貴がそれを追い…ってー後の展開は、どんどん行き当たりばったりぽいというかなんというか。無理やり度がだんだん上がっていったというか。よりいっそう、一話一話ごとの引きの強さのみを重視していったような気がするというか。
渡米後の無理展開を象徴したのが、由貴の迷言「うんざりするほど愛してるよ」になるのではないかと思います。あそこからなんか変わってしまったんじゃないかねこの漫画は?ってゆーか。
思い起こすと雑誌掲載されたのはもはや数年前、つか2001年ごろだった?曖昧な記憶を掘り起こしてみる。
安藤廉の策略により、香純は由貴を置いてアメリカに来てしまった形になる。さて、アメリカにいる香純のもとに、日本にいる由貴から電話。香純は「あたしは由貴を置いていったんじゃない、安藤さんに騙されて」と説明しようとする。しかし、電話口の由貴の口から出た言葉に香純は凍りつく。
「オレもう、うんざりだ」
→由貴があたしのことうんざりだって言ってる…香純は絶望しナイフを手に取り自らの手首に当てる。安藤が止めて事なきを得たが、由貴に見放されたと思った香純は茫然自失で過ごす。無気力なまま、母親に勧められるままに安藤との結婚を承諾する。
その後由貴は香純を追ってアメリカへ。そう、由貴は香純を見放して「(香純には)うんざりだ」と言ったのではなかったのだ。由貴が言いたかったのは、「オレもう、うんざりだ。自分でもうんざりするくらいだ。なんでこんなに香純が好きなんだろう?香純、うんざりするほど愛してるよ」ってー文脈。
うんざりするほど愛してるよ?いや、そいつはいくらなんでも強引スギ。ってゆーかそれ日本語すか?
さて、絶望したままの香純は安藤との結婚式の日を迎える。式場に現れた由貴。香純は由貴に言う。「あたしのことうんざりだって言ったじゃない!」由貴は見開き使って一言。
「うんざりするほど愛してるよ」
この言葉に、香純は全てを理解した(んだと思う…)。自分は由貴に見放されたわけではないと。香純は由貴のもとに走る。
見開きで「うんざりするほど愛してるよ」→香純、由貴の元に走るってー展開はなんつうかもうヤケクソにも見えて、いくらなんでも強引だろうよ!つーか無理無理だろ!と当時から思ったものです。思えばここから、「罪に濡れたふたり」はそれまでとは違う漫画になってしまったのかもしれない…と後になって思った場面です。いや、14階から落ちても生きてた時からかも。あの当時はあそこで終わると思ったのですよ…
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