こわしや我聞~主人公・我聞の安定性
基本的に漫画というのは、数あるフォーマット的な設定の中でも、その作者さんが書きやすい、書きたいと思う世界を魅力的に描くのが一番魅力的だと思います。私が『こわしや我聞』でイイなあ、と思うのは、我聞の母のお葬式の時の我聞と果歩のやりとり(回想)ですね。お父さんはお母さんが嫌いなの?と泣く果歩に対して、そんなことあるか!と自分も泣きながら言う我聞。我聞だって子供なのに。自分も泣いちゃってるのに。その前の、「ああしないと母さん天国に行けないんだ」という台詞も非常にイイと思います。お兄ちゃんだから必然的に下の弟妹より強くならなきゃいけない。こーゆーところを(しかもこんな小さい段階で)見てしまうと、普段「家族を守る」と言っている時よりよほど我聞は責任感ある長男だ!と思いますね。まあ逆で、普段は「家族を守る」と言ってるけどその言いようがいかにも頼りなく見えるんだけど、実はすごく精神的には芯が通ってて曲がらない人なんですねえ、と言うのか。逆に、今頑張っている果歩が昔こうであったという描写を見ると、彼女の成長も伺えるわけです。
藤木先生はこういう子供同士のドラマが巧いなあ、それはすごいことだよなあ、と思わされた場面でした。そして子供同士のドラマを描くのに、子供を可愛く魅力的に描ける、というのは非常に大切なことだと思いますので、藤木先生の絵の可愛さ、こーゆー表情の巧さも光っている、と。
さて、このへんの一連の回想を見ると、我聞の意識というのは非常にはっきりしている。家族を守るということが非常に重要なポイント。だから我聞が何も犠牲にしないというのは、甘いと言えば甘いけど、我聞の言い分は筋が通っています。今そこに当たり前のように存在するものを(けど簡単に失われてしまうものでもあるということを経験として知っていながら)大切にする、というのが我聞の意志であるわけですから。だから彼は「なにかを犠牲にして変わることなんか意味はない」というように言うのでしょう。
我聞にはそーゆー意味で既にある程度完成された人格を持っている。勿論完璧ではないし、逆に言うと完璧である必要はないんだけど、我聞は非常に安定した性格の持ち主だと思います。実は取り立てて精神的葛藤って…ないよね?ないから安定してるんだけど、でも逆に、ないからいけないのか?とちょっと思いました。
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